職場体操の歴史は意外と古く、1930年代にさかのぼります。当時は昭和恐慌を脱して産業が回復し始めたころで、多くの商社がアジア諸国との繊維貿易に力を入れていたころです。
時を同じくして、紡績業で成功していた大原孫三郎氏により、倉敷労働科学研究所(現、大原記念労働科学研究所)が岡山県に設立されました。その研究所に所長として就任したのが、生理学者の暉峻義等(てるおかぎとう)氏です。
暉峻らは、紡績工場などの機械産業で働く女性の勤労者について、同年代の他の産業(主に漁業)で働く女性勤労者と比較して身長や体重などが少なく、機械的産業労働が身体的な発育に影響を与えることを主張していました。
さらに、発育へ影響を及ぼす可能性のある作業負担の軽減に対して組織的に取り組まなければならないことも主張しており、現在の労働衛生マネジメントに通じるものがあるといえます。そして、この作業負担の軽減対策の一環として暉峻らが取り入れた対策が「補償体操」、すなわち現代における職場体操だったのです。
|